カメの調教師のデザイン
カメの調教師」とは、オスマン・ハムディ・ベイの1906年と1907年に2種類描かれた有名な絵画です。 “Osmanlı Ressamlar Cemiyeti”という絵画組合から発行された新聞の17ページに絵画の名前は「カメの調教師と男」と掲載されましたが、そのあと「カメ調教師」と絵画の名前は 変わりました。オスマン・ハムディ・ベイの絵画はその当時、特にインスピレーションを介して描くことを考えられる時代ではなかったので、近代社会に取り残された働く知識人の疲れを表現した絵画と評論されました。他の評論では、思慮深く立っている男が、カメの調教師という忍耐が必要な難しい仕事であり、手にしているネイと背中にあるケトルドラマを鳴らしながら仕事が上手くいく事を期待していると評論されています。この評論ではこのカメの調教師は、オスマン・ハムディ・ベイ自身であるとされています。調教師の難しい仕事と、仕事のために手に持っている楽器を鳴らそうとしている事が、オスマン・ハムディ・ベイの 変化に逆らっている社会を芸術を通して現在の水準へ持っていく働きかけのために、芸術の学校と博物館を開いた事と絵画が重なって強調されているとされています。